なぜ、仕組みの話ばかりするのか
このブログで、僕はずっと構造や仕組みの話を書いてきた。組織のドロドロも、属人化も、心理的安全性も、「人」ではなく「構造」の側から見る。そういう記事ばかりだ。
初めて読む人には、少し冷たく見えるかもしれない。人の気持ちより仕組みが大事なのか、と。
逆だ。
僕が仕組みにこだわるのは、命が有限だからだ。
父を見送り、母を見送って、身体で理解したことがある。人に与えられた時間は、思っているよりずっと短い。そして、その短い時間のうち、どれだけが「その人にしかできないこと」に使われているだろうか。
多くの組織で、人は「人がやらなくてもいいこと」に時間を溶かしている。誰の担当でもない仕事を、善意で拾い続ける。情報が見えないから、疑心暗鬼のケアに時間を使う。任せられないから、全部自分で抱え込む。
その一つひとつは、頑張りであり、優しさだ。でも、そこに使った時間は、戻ってこない。
だから僕は、こう考えている。人がやらなくていいことは、仕組みに移す。そうやって取り戻した時間を、その人にしかできないことに返す。 仕組みの話は、効率の話ではない。有限の命の使い道の話だ。それが、幸せに生きるということだと僕は思っている。
たった一つの原則
とはいえ、このブログにはいろいろな考え方が出てくる。全部を一度に覚える必要はない。
もし全体を一行にまとめるなら、こうなる。
「人を責めない。構造を疑う。」
何かがうまくいかないとき。自分に対しても、他人に対しても。「誰が悪いか」ではなく、「構造のどこにバグがあるか」を考える。
自分がダメだからではない。相手が悪いからでもない。構造がズレているだけだ。
この一つの原則を持っているだけで、世界の見え方は変わる。怒りが減る。自責が減る。代わりに、冷静な分析ができるようになる。分析ができれば、設計ができる。設計ができれば、変えられる。
道具は、一つだけ持って帰ればいい
この原則を実際の場面で使うための道具を、これまで記事ごとに一つずつ書いてきた。
大工が、すべての道具を同時に使うことはない。目の前の作業に合った一つを選んで、それを使う。あなたも、今の自分に一番響くものを一つだけ持って帰ってくれればいい。
- 組織の人間関係がドロドロしているなら——組織のドロドロは、「人」のせいじゃない。
- 問題が多すぎて、何から手をつければいいかわからないなら——100の課題を解くな。1つだけ倒せ。
- 「それ、誰がやるんですか?」が止まらないなら——境界線の設計
- 良かれと思った施策が裏目に出るなら——因果の地図
- 任せるのが怖いなら——座席の設計と8割の設計
- 意見がぶつかって消耗しているなら——1個のオレンジを2人とも100%手に入れる方法
- 正論が通らないなら——説得ではなく、納得
- 「何でも言っていいよ」が機能しないなら——構造でつくる安心
- そもそも自分が何をやりたいのかわからないなら——Willの見つけ方
- なぜここまで「幸せ」にこだわるのか知りたいなら——父のメモの話
どれも独立した記事として書いてある。順番はない。気になったところから読んでほしい。
僕の祈り
少し個人的なことを書かせてほしい。
僕がこれらの記事を書いているのは、「すごい人だ」と思われたいからではない。
父を見送り、母を見送り、一人になった今、残された時間で何ができるかを考えている。その中で、一つだけ確かなことがあった。
自分が経験してきたこと、考えてきたことを、誰かの役に立つ形で残したい。
組織の中で消耗している人。真面目に頑張っているのに報われない人。「自分がダメだ」と思い込んでいる人。
そういう人が、どれか一つの記事を読んで、「あ、自分が悪いんじゃなかったのか」と思ってくれたら。仕組みに渡せるものを一つ仕組みに渡して、自分の時間を少しでも取り戻してくれたら。
それが、僕の祈りだ。
明日、一つだけ
最後に、お願いが一つだけある。
明日、構造を一つだけ、書き換えてみてほしい。
大きなことじゃなくていい。
朝の通勤時間に、自分の「ねばならない」を一つ見つけてみる。会議の場で、一つだけ「なぜこの仕組みがあるのか?」と問いかけてみる。帰り道に、今日一日を「バグ報告」として振り返ってみる。
それだけでいい。
一つの構造が変われば、見える景色が少し変わる。見える景色が変われば、打てる手が一つ増える。その連鎖が、あなたの時間を、少しずつあなたに返していく。
命は有限だ。だから、焦る必要はない。でも、後回しにしている場合でもない。
今日という日を、自分のために使っていい。
もし、自分の組織のどこから書き換えればいいのか、ひとりでは言葉にしきれなかったら、誰かと話しながら、そのもやもやの輪郭を立てていけばいい。ひとりで決めなくていい。
明日、構造を一つだけ、書き換えてみよう。