Journal 思考ログ
№ 006

組織のドロドロは、「人」のせいじゃない。

ドロドロの正体

組織の人間関係がうまくいかないとき、「人の問題」だと思いがちだ。

「あの人は自己主張が強すぎる」「あの部署は協力的じゃない」「あの上司は聞く耳を持たない」。

でも、繰り返し言ってきたが、多くの「人の問題」は、構造の問題を人に投影しているだけだ。

では、人間関係のドロドロの「構造的な正体」は何か。

エゴ(防衛本能)の衝突だ。

エゴは「武装」である

変化に反対する人を観察すると、たいてい「今のハッピーを守りたいだけ」だ、というのが僕の見立てだ。

人間関係のドロドロも、同じ構造だ。

人は、不安を感じると防衛する。自分の領域を守ろうとする。自分の成果を守ろうとする。自分の存在価値を守ろうとする。

この防衛反応が、外から見ると「エゴ」に見える。自己主張が強い。縄張り意識が強い。他者を攻撃する。

でも、エゴの正体は「不安からの武装」だ。安心感があれば、人は武装する必要がない。武装を解けば、エゴは静まる。

安心を「構造」で作る

「もっとオープンにコミュニケーションしましょう」「お互いを尊重しましょう」。

こうした呼びかけは、善意ではあるが、効果は限定的だ。なぜなら、不安の原因(構造)が残ったまま、行動だけを変えようとしているからだ。

個人の行動を変えるには、その人の内側にあるプログラムを書き換える必要がある。でも、組織全体の行動を変えるなら、環境(構造)を変える方がはるかに効率的だ。

では、どんな構造が安心感を生むのか。

情報の透明性だ。

見えないものは不安を生む。評価がどう決まっているかわからない。方針がどうやって決まったかわからない。自分がどう思われているかわからない。

わからないから、想像する。想像するから、最悪のシナリオを思い描く。最悪のシナリオから身を守るために、武装する。

情報を透明にするだけで、防衛反応は大幅に減る。 人の性格を変えなくても、人間関係のドロドロは構造で解消できる。

「情報の透明性」が、ドロドロのセンターピン

ここで一度立ち止まりたい。

組織のドロドロを並べると、症状はいくつもある。派閥、縄張り、足の引っ張り合い、噂、停滞——それぞれを個別に直そうとすると、人事を動かしたり、研修を入れたり、場をセッティングしたり、終わりがない。

でも、よく観察すると、この症状の手前に、たいてい「情報の不透明さ」が一本通っている。評価が見えない。方針の経緯が見えない。誰がどう思っているかが見えない。見えないから不安になり、不安だから武装し、武装が衝突を生む。症状の側ではなく、この一本の線の方を抜けば、奥のドロドロが連鎖して鎮まっていく。

これは、組織のセンターピン——急所(leverage point)だ。

奥に並ぶ症状を一つずつ倒そうとすると、手数がいくらあっても足りない。でも、手前にあるピン一本——情報の透明性——に当たれば、後ろが連鎖して落ちる。情報の出し方を変えるだけで、人を入れ替えなくても、研修を増やさなくても、場の温度が変わる。

設計者の仕事は、症状の数だけ手を打つことではなく、「どこに線一本入れれば連鎖が動くか」を見立てることだ。組織のドロドロという症状群に対して、その線は多くの場合、情報の透明性の側にある。

性格や相性を直そうとする手前で、まずこのピンが立っているか確かめてほしい。立っていなければ、症状の側でいくら頑張っても、ドロドロは別のかたちでまた立ち上がってくる。

「性格を直せ」は設計の放棄

「あの人の性格を直してほしい」。

マネジメントの相談で、こういう要望を受けることがある。

でも、僕はこう答える。

「性格を直す必要はありません。環境を変えましょう」。

攻撃的な人がいる。その人の攻撃性は、性格から来ているように見える。でも、よく観察すると、攻撃的になるのは特定の場面だけだ。情報が足りないとき。自分の立場が脅かされていると感じるとき。評価が不透明なとき。

つまり、その人が攻撃的になるトリガーは、環境にある。トリガーを取り除けば、攻撃性は収まる。

これは性格を否定することではない。性格はそのままでいい。性格の「発火点」を知り、発火させない環境を設計する。 それが、構造的な平和の作り方だ。

構造的平和——エゴの壁を、構造の力で溶かす

ここまでの話を、最後に一本につなげておきたい。

組織のドロドロは、人の問題ではなく、構造の問題だ。その正体はエゴの衝突であり、エゴの正体は不安からの武装だった。だから武装の原因——情報の不透明さ——というセンターピンを抜くと、ドロドロは連鎖して鎮まっていく。ここまでが、この記事の主筋だ。

ただ、ピンを抜いて症状が一度収まったとしても、それは介入が一回うまくいっただけのことだ。設計者が手を入れ続けなければまた立ち上がってくる組織は、まだ「自分で立っている」とは言えない。

僕がこの記事で本当に伝えたいのは、その先の景色だ。

情報が透明になり、不安からの武装が要らなくなると、自分を守るための「エゴの壁」が薄くなっていく。壁が薄くなった人と人の間には、これまで武装に消えていたエネルギーが、そのまま流れ始める。一人ひとりのWillが、もう抑え込まずに、構造に沿って目的の方へ届く。これが構造的平和だ。

構造的平和とは、誰も衝突しなくなる静かな組織のことではない。個と組織の間にあるエゴの壁を、構造の力で溶かしていくこと——その動的な状態のことだ。エゴが溶けた先に、設計者がそばにいなくても自分で回り続ける組織が、ようやく姿を現す。

だから、この記事の結論は、最初に置いた一行に戻ってくる。

組織のドロドロは、「人」のせいじゃない。

責めるべき相手はどこにもいない。直すべきは、武装を生んでいる構造の側だ。情報の透明性という一本のピンを立てるところから、構造的平和は始まる。性格は変わらなくていい。環境が変われば、同じ人が驚くほど穏やかに、そして力強くなる。

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