Journal 思考ログ
シリーズ 構造で読む組織 あの人がいないと回らない組織設計

組織のドロドロを、「人」だけのせいにしない。

ドロドロの正体

組織の人間関係がうまくいかないとき、「人の問題」だと思いがちだ。

「あの人は自己主張が強すぎる」「あの部署は協力的じゃない」「あの上司は聞く耳を持たない」。

でも、「人の問題」と見えたところで、説明を終えない方がいい。その言動を強めている構造が、背後にあるかもしれないからだ。

では、人間関係のドロドロの「構造的な正体」は何か。

僕がよく見る一つは、互いの防衛反応の衝突だ。

エゴは「武装」である

変化に反対する人を見ていると、「今の状態で守られているものを失いたくない」という不安が隠れていることがある。

人間関係のドロドロも、同じ構造だ。

人は、不安を感じると防衛する。自分の領域を守ろうとする。自分の成果を守ろうとする。自分の存在価値を守ろうとする。

この防衛反応が、外から見ると「エゴ」に見える。自己主張が強い。縄張り意識が強い。他者を攻撃する。

それを僕は、「不安からの武装」として見る。すべての対立を説明できるわけではない。それでも、相手の性格を責めるだけでは見えなかった打ち手が、この見方から生まれることがある。

安心を「構造」で作る

「もっとオープンにコミュニケーションしましょう」「お互いを尊重しましょう」。

こうした呼びかけは、善意ではあるが、効果は限定的だ。なぜなら、不安の原因(構造)が残ったまま、行動だけを変えようとしているからだ。

本人への働きかけが必要な場合もある。ただ、複数人に似た行動が繰り返されているなら、個人だけでなく、その行動を生みやすくしている環境(構造)も変える必要がある。

では、どんな構造が安心感を生むのか。

有力な手がかりの一つが、情報の透明性だ。

見えないものは不安を生む。評価がどう決まっているかわからない。方針がどうやって決まったかわからない。自分がどう思われているかわからない。

わからないから、想像する。想像するから、最悪のシナリオを思い描く。最悪のシナリオから身を守るために、武装する。

評価や方針の決まり方を見えるようにすると、少なくとも「わからないこと」から生まれる疑念は減らせる。情報の不透明さが根にある対立なら、人を入れ替えなくても構造からほぐせる。

「情報の透明性」が、ドロドロのセンターピン

ここで一度立ち止まりたい。

組織のドロドロを並べると、症状はいくつもある。派閥、縄張り、足の引っ張り合い、噂、停滞——それぞれを個別に直そうとすると、人事を動かしたり、研修を入れたり、場をセッティングしたり、終わりがない。

こうした症状の手前に、「情報の不透明さ」が通っていることがある。評価が見えない。方針の経緯が見えない。役割や判断基準が見えない。その不明瞭さが不安と防衛を強め、衝突につながっているなら、症状ごとの仲裁より、情報の流れを直す方が効く。

この場合、情報の透明性が組織のセンターピン——急所(leverage point)になる。

奥に並ぶ症状を一つずつ倒す前に、共通する原因の仮説を持つ。情報の不透明さがその仮説なら、情報の出し方を変え、実際に場の反応が変わるかを確かめる。

設計者の仕事は、症状の数だけ手を打つことではなく、「どこを変えれば連鎖が動くか」を見立てることだ。情報だけでなく、利害、権限、役割、過去の経緯に根があることもある。だからこそ、最初から答えを一つに決めず、見立てて確かめる。

性格や相性を直そうとする手前で、まずこのピンが立っているか確かめてほしい。立っていなければ、症状の側でいくら頑張っても、ドロドロは別のかたちでまた立ち上がってくる。

「性格を直せ」は設計の放棄

「あの人の性格を直してほしい」。

マネジメントの相談で、こういう要望を受けることがある。

でも、僕はこう答える。

「性格だけの問題と決めず、環境も見てみましょう」。

攻撃的な人がいる。その人の攻撃性は、性格から来ているように見える。でも、よく観察すると、攻撃的になるのは特定の場面だけだ。情報が足りないとき。自分の立場が脅かされていると感じるとき。評価が不透明なとき。

もし場面によって言動が変わるなら、環境側に発火のきっかけがある。そのきっかけを取り除くことで、言動が変わる可能性がある。

これは本人の責任や意思を消す話ではない。人への働きかけと、発火させにくい環境の設計を分けずに考える。 それが、構造から平和をつくるということだ。

構造的平和——エゴの壁を、構造の力で溶かす

ここまでの話を、最後に一本につなげておきたい。

組織のドロドロを、人の問題だけで終わらせない。防衛反応の衝突として捉え、その反応を強めている構造を探す。情報の不透明さが根にあるなら、そこを変える。ここまでが、この記事の主筋だ。

ただ、ピンを抜いて症状が一度収まったとしても、それは介入が一回うまくいっただけのことだ。設計者が手を入れ続けなければまた立ち上がってくる組織は、まだ「自分で立っている」とは言えない。

僕がこの記事で本当に伝えたいのは、その先の景色だ。

構造が変わり、必要以上に身を守らなくてよくなると、人と人の間の「エゴの壁」は薄くなる。これまで防衛に使っていた力を、目的や互いのWillに向けやすくなる。僕は、そんな状態を構造的平和と呼びたい。

構造的平和とは、誰も衝突しなくなる静かな組織のことではない。違いも責任も残したまま、不要な防衛を生む構造を減らし、対立を目的に向けて扱える状態のことだ。

だから、この記事の結論は、最初に置いた一行に戻ってくる。

組織のドロドロを、「人」だけのせいにしない。

人の責任を問う必要がある場面はある。それでも、誰かを責めて終われば、同じことを生む構造は残る。情報、利害、権限、役割のどこが防衛を強めているのかを見つけ、そこへ手を入れる。構造的平和は、その問いから始まる。

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