「それ、誰がやるんですか?」
会議の終わりに、こういう言葉が出たことはないだろうか。
「それ、誰がやるんですか?」
誰も答えない。全員がなんとなく隣の人を見る。しばらく沈黙が続いて、結局一番真面目な人が「……じゃあ、私がやりますか」と手を挙げる。
一方、こういう場面もある。「それはうちがやります」「いえ、うちの管轄です」。善意と善意がぶつかって、誰も引かない。
前者が「空白」——誰の担当でもない仕事がぽっかり落ちている状態。いわゆるポテンヒットだ。後者が「衝突」——複数の人が同じ領域に手を出している状態だ。
どちらも、「人」の問題に見える。無責任な人がいるからボールが落ちる。出しゃばりな人がいるから衝突が起きる。
でも、設計者の目で見ると、これは境界線の設計ミスだ。
境界線が生む「見えない摩擦」
組織には、必ず境界線がある。
部署の境界。役職の境界。プロジェクトの境界。「ここからここまでが自分の範囲」という線引きだ。
この境界線が適切に引かれていれば、問題は起きにくい。でも、多くの組織では境界線が曖昧だったり、現実と合わなくなっていたりする。
事業が拡大すると、新しい仕事が生まれる。でも、境界線は更新されていない。新しい仕事は「誰の範囲でもない空白」に落ちる。
組織改編があると、担当領域が重なる。でも、調整が追いつかない。同じ顧客に対して二つの部署がバラバラにアプローチする。
これが境界線の設計ミスだ。
そして厄介なのは、境界線の問題は「人間関係の問題」に偽装されることだ。
「A部署とB部署の仲が悪い」。本当にそうだろうか。仲が悪いのではなく、境界線が曖昧だから衝突しているだけかもしれない。お互いのテリトリーが明確になれば、衝突はなくなるかもしれない。
善意の越境が構造を壊す
ここに、さらに厄介なパターンがある。
善意で境界線を越える人だ。
空白に気づいたとき、責任感の強い人はそのボールを拾いに行く。「誰もやらないなら、自分がやろう」。立派な行動だ。チームのために動いている。
でも、この善意の行動には副作用がある。
ボールを拾い続けることで、「本来はそこに構造的な問題がある」という事実が隠されてしまうのだ。
誰かが毎回ポテンヒットを拾ってくれるから、組織はそのまま回る。回っているから、構造を直す必要が認識されない。認識されないから、直されない。
そして、ボールを拾い続けた人がある日限界を迎える。異動する。退職する。体調を崩す。その瞬間、隠されていた空白が一気に露出する。「なぜこんなに穴だらけなんだ」と驚くが、穴はずっとそこにあった。ただ、一人の善意が覆い隠していただけだ。
頑張る人が頑張るほど、組織はバグを修正しなくなる。 これが、善意の越境がもたらす最も危険な構造だ。
「私の仕事じゃない」は悪いのか
では、ポテンヒットを拾わなければいいのか。
「それは私の仕事じゃありません」と言えばいいのか。
そう単純ではない。
「私の仕事じゃない」という言葉は、二つの全く異なる意味を持ちうる。
一つは、無責任な責任回避。目の前で困っている人がいるのに、「自分の範囲じゃない」と見て見ぬふりをする。
もう一つは、構造の問題を可視化する行為。「これは誰の範囲にも入っていない。だから、境界線を引き直す必要がある」と問題提起すること。
前者は逃げだ。後者は設計者の仕事だ。
大事なのは、「拾う」か「拾わない」かではなく、「拾ったあとに構造を直すかどうか」だ。
今回は拾う。でも、「これが毎回落ちるのは境界線の設計ミスだ」と記録する。記録が溜まれば、構造を書き換える根拠になる。
「繰り返されるパターンを記録する」というのは、まさにこの作業だ。
空白と衝突を可視化する
境界線の問題を解決する第一歩は、空白と衝突を可視化することだ。
方法はシンプルだ。
チームの中で、「最近、誰がやるかわからなくてモヤッとしたこと」を挙げてもらう。これが空白だ。「自分がやろうとしたら、別の人もやっていたこと」を挙げてもらう。これが衝突だ。
出てきたものを並べてみると、境界線のどこにズレがあるかが見えてくる。
そして、境界線を引き直す。新しい仕事はどちらの範囲に入るのか。重なっている領域は、誰がリードするのか。
ここで大事なのは、境界線は一度引いたら終わりではないということだ。1個のオレンジを、2人とも100%手に入れる方法でも書いた通り、均衡は動的だ。事業が変われば、境界も変わる。定期的な点検が要る。
境界線は、組織の「急所」になる
ここまで読んで、こう思った人がいるかもしれない。
「ポテンヒットを一個ずつ拾うのも、衝突を一件ずつ仲裁するのも、結局は同じくらい大変じゃないか」と。
確かに、表面の事象を一つずつ片付けていくと、組織の現場はキリがない。誰かが辞めれば穴が開き、誰かが頑張れば衝突が起きる。打ったら打ったぶんだけ、別の場所からまた立ち上がってくる。
そういうとき、組織のどこを抜けば連鎖が一度に動くのか——その急所(leverage point)は、たいてい個別の事象の側ではなく、境界線の側にある。
ボウリングを思い浮かべるとわかりやすい。奥の10本のピンを一本ずつ倒そうとすると、手数がいくらあっても足りない。でも、手前の一本(センターピン)に当たれば、後ろが連鎖して倒れる。境界線の引き直しは、組織にとってそのセンターピンに当たる一手だ。
ポテンヒットを拾う・衝突を調停する、という現場の動きは、奥のピンを一本ずつ狙う動きに近い。それは尊いし、必要だ。でも、それを続ければ続けるほど、手前の急所が見えなくなる。境界線という線一本のズレが、奥の症状をいくつも生み出していたのだとしたら、線の引き直しは、見た目より遥かに割の良い一手になる。
設計者の役割は、「全部の症状を直す」ことではない。「どこに線一本入れれば連鎖が動くか」を見立てることだ。
構造を直す勇気
最後に、一つだけ。
善意で空白を埋め続けている人に伝えたいことがある。
あなたの頑張りは、間違いなく尊い。あなたがいなければ、チームは回らなかっただろう。
でも、あなた一人が頑張ることで構造の問題が見えなくなっているとしたら、それは長い目で見ると組織のためにならない。
構造を直す方が、あなたが拾い続けるよりも、ずっと持続可能だ。
ボールを拾う優しさと、構造を直す冷静さ。両方を持つのが、設計者だ。